むかし語り(続)

 当時の社長であったSさんの回顧録に、Mさんの名前が出ていないのは

意外だった。会社名が出てる以上、事業の失敗例を大きく取り上げるわけには

いかなかったのか。

 Mさんは、メガネを外して髭を書けばダルマに似た風貌だった。

いつも駅前の居酒屋で飲んでいた。

その人柄の良さ、腰の低さにファンが多かった。

「天才」とか「町の発明屋さん」とか「夢想家」とか陰で言われたMさんは、

職場の中心人物の一人だった。ある材料の特殊な製法の基本特許で

業界では知る人ぞ知る存在だった。

もともと研究所にいたが、その自由な発想がワンマン所長と合わず、

Sさんが責任者であった事業部に異動となった。

当時はパソコン需要から記録メデイアの変革期であり、

フロッピーからハードディスクという大きな流れがあった。

Mさんは記録製品の部品分野に進出しようとでいくつものアイデアで開発を続け、、

社長となったSさんはその事業計画にゴーを掛けた。

事業の立ち上げはうまくいかなかった。

実験ラインではスムーズにいくのだが、量産ラインは時間がかかった。

工程の見直しや追加の設備を投入し、立ち上がりに遅れた。

タイミングの遅れは需要のずれとなり、結果としてその製品は短命に

終わった。中には製品を出す前に需要が消えたものまであった。

Mさんの開発、設備投資から来る累損は相当な金額になっていった。

当然、社内にはMさんの事業への批判が高まっていった。

Sさんは信じた相手にはすべてまかせる人だった。

社内からの批判を抑えMさんをかばい、一言も不満を漏らさなかったという。

新規事業がいずれも失敗に終わり、Mさんは辞表を書いた。

ところが、Sさんは辞表を受け取る代わりに、Mさんを役員にしたのだ。

誰もが驚いた。

振り返ってみれば、Mさんにはかえってつらい結果となった。

事業部では自由に動けたMさんも役員になってはそうも

いかなかった。役員会では先輩の技術系の役員からのきつい

反対にあった。Sさんの支持もオールマイティにはいかなかった。

一期二年だけで、Mさんは退職した。

 その後、Mさんの消息は聞こえてこない。

木曽の山の中で窯を作り茶碗を焼いているとかいう

噂があった。Mさんはそういう伝説が似合う人だった。

本当かどうかは分からない。